母親のこと

 わたくしにも人並みに母親がおります。同じ干支でちょうど二回り違いますので、生まれたばかりのわたくしを抱いて写っている写真を今あらためて見ますと、そこにはまだチャンネーと呼んでも良いような姿の母親が写っております。以来60余年の間、大学進学でいったんは家を出たわたくしが父親ともども広島に呼び寄せたのが20数年前、認知症を発症して要介護になったのが10数年前、そして父親が死んだ5年前にいよいよ症状が進んでグループホームに入居して、そして先月15日脳梗塞を起こして夜中に県病院に運ばれました。

 半月ほどリハビリを試みていただいたのですが嚥下機能が回復せず、自主的な栄養摂取はもう不可能と診断されました。生前より延命治療は希望しない旨を本人が明らかにしていたので、転院先の療養型の病院の主治医と相談して胃管、胃ろうはせず、点滴で水分と電解質のみを投与してもらっています。この状態だと統計的には1~2か月の余命と説明されましたので、おそらく来月のうちには別れを迎えることになるのだなと覚悟を固めつつあります。

 折しも弊店のオープンを7月頭に予定しており、これはこれそれはそれと腹をくくって準備を進めてきたのですが、ここにきてちょっと気分的に立ち行かなくなってきました。お店のことと母親のことと表稼業のことと全部が頭の中でいっしょくたになってます。

 病棟からの呼び出しは不意打ちを食らうのがいやだったので、この番号だけ着信音をG線上のアリアに変えて、出る前から識別できるようにしたはいいのですが、最近はどうかするとすぐ頭の中でこの曲が鳴り始めます。

 このホームページのどこかにも書いたのですが、高校で受験先を決めるとなったときに、当時南極越冬隊員になりたかったわたくしは地球物理学を学びに仙台に行きたいですと言ったところ、お前あそこはダッチワイフなんぞを持っていくような地獄だぞよと泣きながら謎の反対をした母親でした。これを振り切って南極行っていたら今頃は本屋さんになろうなぞとは言っておらず、代わりにドール職人になってたりしたかもです。先のことはわからないものですね。どちらのほうがよかった、なんていうことなんかは全くないです。母親自身はこういう生でよかったと思っていたのか、今となってはもう教えてもらえないんですが、ちょっと気になります。

 ごちゃごちゃ書きましたが、そんなわけでオープンは母親をきちんと看取ってから ということにします。みなさまにおかれましてはお待たせしてしまい(待っててくれる人がいてくれるといいのですが)申し訳ございません。何卒よろしくお願いいたします。

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粛々と