母親に関するナラティブ
おかげさまでこの13日、お盆の迎え火の日に無事グランドオープンできまして、からの4連営業。週が明けて人間ドックに行ったらここ何か月間かの糖質制限の甲斐あって、昨年指摘された「軽度の脂肪肝」は無くなっていますと言われました。すっかり気を良くしたその日の晩酌にはお酒を小半らほどいただきましたが、いつもより酔いを感じましたので早めに休むこととし、これをトドメとチンカチンカのシャッコぃハイボール缶を自室に連れ込んで文庫本広げた21時過ぎ、スマホから「G線上のアリア」が流れてきました。重松清は好きではありませんがここだけは倣って、母親が入っている病棟階からの着信音を変えておいたものです。ハイボールの残りをぐっと飲みほして腹を決めてから、駆け付けました。その1時間ほど後には最期を看取ることになりました。
翌朝には弟一家も駆けつけ、弊店の目の前にある葬祭会館さんに母親を安置し、ゆっくりお別れをする時間が持てました。昔の思い出話もポツリポツリできました。そんな中で、長男である自分と次男である弟とでは当時同じ出来事を体験しているのに、相当に異なった感じに認識されている事柄がいくつかあるのを自覚しました。最初の視点から違っていたのか、各々異なる環境下において脳内で違う内容に変化していったのかどちらかはわかりません。我々の母親に関してそれぞれに異なるナラティブが形成されていたことをとても興味深く感じました。
わたくしの彼女に関するナラティブは決して読み聞いて愉快な気分になるものではありません。なにをやっても全然褒めてくれなかったし、進学も就職も結婚も彼女の好みと違うと泣いて反対されましたし(全部突破しましたけど)、「傘の周縁の突起で失明するぞ恐怖症」も「餅詰めて窒息するぞ恐怖症」もしっかり植え付けられましたし、と細部に至るほどなんじゃこりゃ?な物語として記憶されています。なので、ここにそのお話を開陳はしないでおきます。
なんとなく落ち着いている雰囲気をこうして醸し出そうとしていますけど、多分こうしている今も、心情的には通常モードではないのだろうなと思います。今夜もチンカチンカのしゃっこいハイボールがたくさん必要になります。えぇ具合に脳に回ってきたら、この母親に関するわたくしだけのナラティブを、逃げたりせずに、存分に思い出したいです。